主張の核

ビジネスの文脈で「アート」と呼ばれるものは代替不能な付加価値を指しており、特に「まだ言語化・データ化されていない人間の欲求を引き出す能力」として現れる。要件定義がアートである理由は、デジタル化されていない暗黙的ニーズを仮説・対話・直感によってすくい取る行為であり、AIが学習できるデータとして存在していないフロンティアだから。ただし行動データという「言語化されていないが観察可能な欲求」がAIの参入余地を広げるため、アートの境界線は固定されておらず動的に後退し続けている。

研究者たちはこう言っている

「知っているのに言葉にできない」——この現象を最初に本格的に理論化したのは哲学者マイケル・ポランニーです。彼が提唱した「暗黙知(言語化できない知識)」の概念はシンプルで、「私たちは言葉にできる以上のことを知っている」という一文に凝縮されます [1]。面白いのは、この概念が経営学の世界に持ち込まれたことで一気に実践的な意味を持ちはじめたことです。日本の研究者である野中・竹内は、暗黙知と言語化できる知識(形式知)を変換・循環させることで企業が「知識を創る」プロセスを体系化しました [2]。要は、職人の勘や熟練した営業マンの「空気を読む力」が組織の競争力の源泉になりうる、と言ったわけです。

じゃあ、この暗黙知が「要件定義」とどう結びつくのか。ソフトウェア工学の研究者たちは長年この問いと格闘しています。複数の研究が共通して指摘しているのは、「顧客が持っている本当のニーズは、隠れていて言語化されていない」という事実です [3][4]。要件を引き出す面談で生じる「あいまいさ」は、単なる伝達ミスではなく、語り手自身が自分のニーズを言葉にできていないことが根本原因だ、とある研究は結論付けています [5]。つまり要件定義とは「まだ存在していない言葉を掘り起こす行為」であり、それは本質的に対話・仮説・直感を必要とする——科学より職人技(アート)に近い営みなんです。

そう考えると、AIが「代替できる仕事」と「できない仕事」の境界線も見えてきます。オックスフォード大学の研究が全職種の約47%は自動化のリスクにさらされていると推定したのは有名ですが [6]、彼らが「代替困難」として挙げたのは、創造的知性・社会的知性・複雑な知覚と操作を要する仕事です。要は、ルーティン化できるもの・言語化されたパターンからの演繹で解けるものはAIが得意で、「まだデータになっていない人間の欲求を読む」仕事は苦手、ということです。経営論研究者のロジャー・マーティンはこれを「知識の漏斗」として表現しました [7]。謎(まだ誰も言語化していない問い)から経験則へ、そしてアルゴリズム(手順化されたルール)へと知識が結晶化していく——AIが学習できるのはすでにアルゴリズム化された部分だけです。漏斗の手前、まだ謎の段階にある領域こそが「アート」の居場所であり、それこそが今のところ人間にしか担えないフロンティアだ、というのが研究者たちの一致した見方です。

新視点・未考慮の角度

  1. 「アート」は残余カテゴリである——という本質的な問題: ビジネスで「アート」と呼ばれるものは「現時点でAIにできないことの別名」になりつつある。それは固有の能力を指す言葉ではなく、「余り物」の領域への命名に過ぎない可能性がある。もし「アート」の定義がAIの進化に合わせて書き換わり続けるなら、この概念は反証不能な構造を持つ——AIが到達したとき「それはアートではなかった」と再定義されるだけだ。
  1. アートとサイエンスは「漏斗の位置」で決まる: ロジャー・マーティンの知識の漏斗(謎→経験則→アルゴリズム)でいえば、「アート」とは漏斗の入口(まだ誰も言語化していない問い)にある仕事を指す。要件定義が今アートなのは、エンタープライズ向け製品の「本当の問い」がまだ誰も言語化できていないから。仮にその問いが言語化・アルゴリズム化されたとき、要件定義はサイエンスになり、次の新しいフロンティアがアートと呼ばれるようになる。
  1. アートの「速度」が変わっている: 過去は「謎→アルゴリズム」への変換に数十年かかった(会計・法律・医療診断がAIに侵食されるまで)。今は生成AIの登場で変換速度が桁違いに速い。事業家にとって重要なのは「現時点でアートかどうか」ではなく「この仕事のアルゴリズム化までの時間的余裕がどれくらいあるか」の見積もりかもしれない。

反論

反論1|「暗黙」を言語化しなくても行動データで十分に先回りできる

要は、「言語化できていないから人間の仕事」という前提が、行動ログ時代には崩れているってことです。Netflixの推薦システムは、ユーザーが「何を見たいか」を一切言わなくても、一時停止・巻き戻し・視聴完走率などの行動信号から次の欲求を予測します [1]。Amazonの推薦モデルも同様で、「ユーザーが気づく前に欲しいものを棚に並べる」構造が実現されている [2]。これは要件定義の「暗黙的ニーズを引き出す」という行為を、対話なしに代替している実例といえる。この反論が成立するのは、大量の行動履歴が蓄積されている成熟したデジタルサービス文脈に限られ、利用者の行動ログがそもそも存在しない新市場・新規プロダクト開発の初期段階では適用が難しい。

反論2|大規模言語モデルのマルチ担当者システムが要件引き出しを自動化し始めている

面白いのは、「引き出す行為」そのものをAIがシミュレートするフレームワークが複数出てきていることです。「Elicitron」という枠組みでは、多様なユーザー属性を持つ仮想担当者群を生成し、製品体験をシミュレーションさせることで実ユーザーが口にしない潜在ニーズを引き出します [3]。2024年の論文では、最新の大規模言語モデルを使ったマルチ担当者が実プロジェクト4件でユーザーストーリーの生成・品質評価・優先付けをこなした [4]。「仮説・対話・直感」という要件定義の3要素のうち少なくとも「対話」は、AIがすでに部分代替しつつある。この反論が成立するのは、想定ユーザー像がある程度特定されており過去類似プロジェクトのデータが参照できる状況に限られ、本当に前例がない新規市場では精度が落ちる。

反論3|「デジタル化されていない暗黙知」をAI自身が言語化し始めている

2025年の論文が示したのは、組織内の暗黙知を大規模言語モデルが従業員への反復的な質問を通じて再構成できる、ということです [5]。従来「言語化不能」とされてきた熟練者の経験則・判断基準が、AIの質問生成能力によって明示化・データ化されていく。「アートの領域」の境界が後退する速度が、これまでの想定より速い可能性がある。この反論が成立するのは、組織内に話を引き出せるエキスパートが実在する場合に限られ、過去事例ゼロ・前例なしのイノベーションの文脈ではAIが質問を投げかける相手がなく機能しない。

スティールマン

もし私がこの主張に反論するなら、こう言う——

「アートの境界線がAIによって動的に後退する」って認めた瞬間、実はこの議論は自爆してる。要はアートを「現時点でAIにできないこと」の代名詞として使ってるだけで、それって固有の能力の話じゃなくて、単なる余り物カテゴリの話でしょ。面白いのはここで——暗黙的ニーズを引き出す対話も、十分な事例が積み重なればパターン化される。熟練した要件定義者が「直感で聞いてる」と思ってることも、実は過去の失敗と成功から学習した認知モデルが動いてる。それって人間の脳内でやってる機械学習と何が違うの?そう考えると、「デジタル化されていないから学習できない」という前提自体が崩れる。AIは身体センサーや対話ログや表情認識を通じて、非言語の文脈ごと取り込める方向に進化してる。アートの聖域は存在するかもしれないけど、この主張が引いた境界線の場所は、全然安全じゃない。

実事例

主張を支持する事例

#### 要件定義・ニーズ発見がアートとして実証されたビジネス事例

Airbnb — 写真品質という「言語化できなかった問題」の発見(2009年)

創業者たちはサービスが伸び悩む原因を特定できずにいた。UIや価格ではなくホストが撮影した低品質の写真が離脱原因だと気づいたのは、ニューヨーク現地でホストの部屋を自ら歩き回ったときだった。プロカメラマンを手配して撮り直しをした週、予約が即座に2倍になった。この洞察は「ユーザーがレビューや問い合わせで言語化していなかった問題」にあり、要件定義のフロンティアがどこにあるかを示す古典的事例。

McDonald's × Christensen — ミルクシェイクを「朝の孤独な通勤の友」として再定義

経営学者Clayton Christensenが18時間McDonald'sの店舗を観察したところ、朝のミルクシェイクの主顧客は「長距離通勤で退屈しないため」に購入していた。顧客自身は「退屈しのぎのためにミルクシェイクを買っている」と言語化できていなかった。従来の市場調査(「どんな味が好きか」)は潜在的な「仕事(ジョブ)」を捉えられず、この再定義により製品・販売戦略が変わった。顧客が「雇用する目的(ジョブ)」を探る思考法の原型として今も広く参照される。

Amazon Echo — Bezos「誰も要求しなかった製品」(2014年)

Amazon EchoのローンチにあたりJeff Bezosは「誰もEchoを欲しいとは言っていなかった」と述べた。ユーザー調査では明示的な要求は出なかった。開発チームは膨大なユーザーインタビューとコンテキスト観察から「キッチンやリビングで両手が塞がっている瞬間の摩擦」という潜在ニーズを抽出した。AIはユーザーが発した言葉(明示的要求)は処理できるが、「まだ言葉にならない摩擦感」はデータとして存在しないため学習できない。

Spotify Discover Weekly — 「誰も要求しなかったが全員が必要としていた」機能(2015年)

業界アナリストは「ユーザーは新しい音楽を探すことに興味がない」と分析していた。SpotifyのPMチームはこの通説に反して「摩擦が大きすぎるだけで欲求は潜在的に存在する」という仮説を立て、数十億の再生ログから個別音楽の自動生成を実現。ローンチ後1年で4000万ユーザーが利用し、2025年時点で再生量の20%がこの機能経由。「ユーザーが言語化できていなかった需要を先読みした」典型事例。

#### 言語化されていない欲求を引き出すことで競合優位を築いた事例

Apple iPhone — 「大きな画面がほしい」の先を見た(2007年)

消費者調査では「キーボードを大きくしてほしい」「カメラを改善してほしい」という回答が出た。しかしJobsは「指でタッチして直感的に操作する」という体験全体を、誰も言語化する前に形にした。「消費者はすでに知っているものの改善しか要求できない。存在しない概念は言語化できない」——この構造的限界が要件定義をアートにする理由だと多くの分析が指摘している。

IDEO × 大手小売スーパーマーケット — 買い物カート再設計

IDEOは数週間にわたって買い物客と店員を観察し、「カートに積んだ荷物が落ちる」「子供を乗せにくい」「レジ前でカートが渋滞する」など顧客が「不満だと認識していなかった不便」を抽出した。従来の顧客アンケートには一切現れなかった課題群から再設計されたカートは転倒率・盗難率・通路ブロック率を大幅改善し売上増に直結。要件を「訊く」ではなく「観る」ことで潜在課題が浮上した典型事例。

#### 人間の暗黙知がAIに代替されずに残っている事例

McKinsey・BCG・Bain — 戦略コンサルにおける「人間の信頼」の優位性(2024〜2025年)

McKinseyの2024年報告によれば、同社プロジェクトの40%がAI関連だが、AIが最も代替できない領域は「抵抗する最高財務責任者を説得する」「相反する役員間を仲裁する」「意思決定の責任を引き受ける」プロセスだと明示している。BCGも「アルゴリズムは洞察を生成できるが、戦略・関係性・信頼に変換するのは人間のコンサルタント」と定義。「説得・仲裁・責任の引き受け」はデータ化されていない文脈依存の暗黙知であり、学習データが存在しない。

暗黙知の戦略的防衛線論 — カリフォルニア大学バークレー校(2026年)

大規模言語モデルが「テキスト化・外部化された知識」しか学習できない構造的制約を指摘した論文が2026年に発表された。競合他社がAIを使えば「明示的知識」は均一化され競争力ゼロになる。逆に「熟練者が持つ判断パターン・状況認識・非公式の直感的判断則」は外部化不能なため、これを保持・設計できる組織が持続的優位を得ると論じる [C2]。

製品管理(PM)職の二極化 — 2024〜2025年グローバル求人データ

2024年末時点でグローバルにPM求人は5700件超あるが、内訳が変化している。エントリー〜中級の「伝統的PM職」は減少し、「AI習熟シニアPM」と「AIスペシャリスト」が激増。「要件の整理・文書化・構造化」はAIに置換され、「まだ存在しない課題を発見し、仮説を持って利害調整する」上位レイヤーには人間の需要が増加。アートの境界が「後退しながらも消えていない」ことを示す。

GitHub Copilot — コーディング加速はするが「何を作るか」は置換されず(2023〜2024年)

ノルウェー公共機関でのCopilot導入実験(開発者100名)ではコミット数に統計的有意な変化なし。別の調査では申請数+10.6%、開発サイクル時間3.5時間短縮。最も効果が出たのはジュニア開発者の定型実装。上位の「何を作るか・なぜ作るか・誰のためか」という要件定義フェーズはCopilotが関与できず、人間の仕事として残存している。

反証・例外(アートの境界後退)

Klarna — AI全面置換→失敗→人間再雇用(2023〜2025年)

2023年にAIアシスタントを導入し700名のカスタマーサービス担当を削減。2024年2月には「月230万件の問い合わせをAIが対応、人間エージェントと同水準の顧客満足度」と発表。しかし2025年に複雑な問い合わせでの顧客満足度が悪化し、最高経営責任者が「やり過ぎた。効率重視が品質を下げ信頼を損なった」と公言し人間エージェントの再雇用へ。定型応答という「既にデータ化・言語化済みのアート」はAIに侵食されたが、「文脈・共感・例外判断」という暗黙知は境界として残った。

McDonald's × IBM 音声AI撤退 — 「未言語化要件」の無視が招いた失敗(2024年)

ドライブスルーへの音声AI注文システム導入実験でノイズ環境での誤認識が頻発し、ある事例では顧客が「水を1杯」と注文したところ18,000カップが注文されたとして拡散した。過剰な追加販売プロンプトが顧客体験を毀損し、McDonald'sは2024年7月にパートナーシップを解消・実験停止。「コンテキスト認識・曖昧表現の文脈解釈」という暗黙的要件が事前に言語化されていなかった失敗であり、要件定義のアート的側面の重要性の逆証明。

大規模言語モデルによる非機能要件(製品の性能・安全性などの品質要件)自動生成 — 高精度だが「発見」は人間が担う(2025年)

2025年の比較研究では、34件の機能要件から1593件の品質要件を大規模言語モデルが生成し、専門家評価との一致率は80.4%、妥当性スコア中央値は5.0/5.0という高水準を示した。ただしこの研究の前提は「機能要件がすでに言語化・構造化されている状態から出発する」こと。AIは「すでに言葉になった要件」から導出する能力は高いが、「まだ言葉になっていない欲求を最初に引き出す」フェーズは対象外のまま。境界は確実に後退しているが、フロンティア(最初の問いを立てる行為)はアートとして残存している。

参考文献

  • [1] *The Tacit Dimension* — Michael Polanyi (1966)
  • [2] *The Knowledge-Creating Company* — Ikujiro Nonaka & Hirotaka Takeuchi (1995)
  • [3] "The Unspoken Requirements: Eliciting Tacit Knowledge as Building Blocks for Knowledge Management Systems" — Springer (2015)
  • [4] "A Model for Enhancing Tacit Knowledge Flow in Non-functional Requirements Elicitation" — ResearchGate (2018)
  • [5] "Ambiguity and Tacit Knowledge in Requirements Elicitation Interviews" — *Requirements Engineering*, Springer (2016)
  • [6] "The Future of Employment: How Susceptible Are Jobs to Computerisation?" — Carl Frey & Michael Osborne, Oxford University (2013)
  • [7] *The Design of Business: Why Design Thinking Is the Next Competitive Advantage* — Roger L. Martin (2009)
  • [B1] Netflix FM-Intent System — Netflix TechBlog (2023)
  • [B2] Amazon RNN-based Recommendation — Medium / Hybrid Minds
  • [B3] "AI based Multiagent Approach for Requirements Elicitation and Analysis" (Elicitron) — arXiv 2409.00038 (2024)
  • [B4] "Early Results of an AI Multiagent System for Requirements Elicitation" — Springer / PROFES (2024)
  • [B5] "Leveraging Large Language Models for Tacit Knowledge Discovery" — arXiv 2507.03811 (2025)
  • [C2] "Tacit Knowledge Is Your Next Competitive Moat" — California Management Review (2026年3月)

次の問い(継続用)

この考察をさらに深めるなら:

  1. 「アートの境界線が後退するまでの時間的余裕」を見積もる方法はあるか?職能ごとにロジャー・マーティンの知識の漏斗(謎→経験則→アルゴリズム)のどの位置にあるかをマッピングする実践的フレームワークは作れるか?
  2. 要件定義において「仮説を立てて質問をぶつける」能力は、大規模言語モデルによる仮想ユーザーシミュレーションとどこが根本的に異なるか?「リアルな文脈への驚き(Surprise)」が人間の要件定義の核心だとすれば、これはAIで再現できるか?
  3. 「アートとは余り物カテゴリである」という批判に対して、アートを時間的に固定した概念ではなく「境界前線(フロンティア)を常に押し広げる能力の名前」として再定義することは可能か?

続きセッション履歴

2026-05-29 続き — アートの定義を6つの立場から整理

前回の考察では「アートの境界線の後退」に焦点を当てたが、そもそも「アートとは何か」の定義が抜けていた。6つの立場からの定義を追加する。

#### 哲学者・美学者

カント(独・18世紀): 「目的なき合目的性——明確な用途はないのに、何か目的があるように感じられる形式こそが芸術の本質だ。想像力と理解する力が互いを刺激し合う"自由な遊び"から生まれる快楽」 [A1]

(1790年『判断力批判』。美という体験を「知識でも道徳でもない第三の判断」として位置づけた)

ヘーゲル(独・19世紀): 「美とは、理念の感覚的な輝きである。芸術とは、絶対的な精神が感覚的な形をとって現れたものだ」 [A2]

(芸術・宗教・哲学の三つが真理に近づく方法だと説いた体系の中での定義。さらに「芸術は最終的に哲学に乗り越えられる」という"芸術の終焉論"を唱えた)

トルストイ(露・19〜20世紀): 「芸術とは、人間が自分の生きた感情を意識的に他者に伝え、その人に同じ感情を"感染"させる活動だ」 [A3]

(晩年の著作『芸術とは何か』(1897年)。自身の初期作を否定し、芸術は"感情の伝染"であるべきだという倫理的立場から書いた)

デューイ(米・20世紀): 「芸術とは、ある体験が統一感と充実感を持って完結した状態だ。日常の経験をその極限まで凝縮したもの」 [A4]

(1934年『芸術としての経験』。芸術を美術館に閉じ込めず、料理・建築・スポーツなど日常の体験にも美学は宿ると主張した)

ダント(米・20世紀): 「アートワールド(芸術制度・理論・慣行・議論の総体)という文脈の中に置かれることで初めてアートとして認定されるものだ。物体の見た目ではなく、それがどう解釈されるかが芸術かどうかを決める」 [A3]

(アンディ・ウォーホルのブリロ・ボックスを目の当たりにして「なぜこれが芸術でスーパーの箱は芸術でないのか」と問うた1964年の論文から)

#### アーティスト自身

ピカソ: 「アートは嘘だ。でもその嘘によって、私たちは真実に気づく」 [A5]

(芸術を「現実を変形して真実に届くための手段」と捉えた。「全ての子供はアーティストだ。問題は大人になってもアーティストであり続けられるかどうかだ」という言葉も残している)

デュシャン: 「アートとは、あなたが逃げ切れるものだ」 [A5]

(便器を美術館に展示して"泉"と名付けた人物。「アートかどうかを決めるのは形でも技術でもなく、文脈と承認だ」という挑発そのもの)

アンディ・ウォーホル: 「お金を稼ぐことはアートだ。働くことはアートだ。そして良いビジネスこそが最高のアートだ」 [A6]

(コマーシャルアーティストとして出発し"ビジネスアート"を提唱。商業と芸術の境界線を意図的に消した文脈での発言。ウォーホルは"ファクトリー(工場)"と名付けたアトリエで大量複製を行った)

#### 認知科学者・神経科学者

ラマチャンドラン(インド出身・米): 「芸術とは、脳の神経系が進化の過程で反応するように設計された"視覚的な原型"を、誇張・単純化・変形によって最大限に活性化させる刺激だ。刺激の本質的な特徴を誇張すると脳がより強く反応する——これがアートの中核にある」 [A7]

(1999年の論文「芸術の科学」。「なぜカリカチュア(誇張した似顔絵)は本人より"らしく"見えるのか」という問いからスタートした)

チャタジー(米): 「美的体験とは、感覚・運動系、感情・価値評価系、意味・知識系という三つの神経系が相互作用することで生まれる。普遍的なパラメーターが美の基盤にあるが、教育・経験・文化による枠組み効果がその評価を深く左右する」 [A8]

(「美しさは見る人の脳の中にある」という立場から文化差を超えた神経基盤を研究)

#### 人類学者・文化研究者

ディサナヤーク(米): 「芸術とは"特別にすること(making special)"だ。人間が生物として持つ根本的な傾向であり、言語や道具使用と同じように種としての特性。社会的に重要な活動を記憶に残りやすく、喜びを伴うものにすることで人間の生存に不可欠な役割を果たしてきた」 [A9]

(著書『芸術は何のためにあるか』(1988年)。芸術を趣味や余暇ではなく生物学的な必要性と主張した)

ギアーツ(米): 「芸術作品とは、創作者の重大な体験を象徴的に表現したものだ。芸術を美的に知覚する能力とは、その作品が含む象徴を読み取る能力であり、それは関連する文化的な実践に参加することで初めて身につく」 [A10]

(象徴人類学の創始者。文化を「意味の体系」として捉え、芸術もその一部として解読されるべき"テキスト"と見なした)

#### 起業家・ビジネスリーダー

スティーブ・ジョブズ: 「テクノロジーだけでは不十分だ。テクノロジーと、教養学問と、人文学が結婚したときに初めて、心が揺れる結果が生まれる」「本物のアーティストは出荷する(Real artists ship)」 [A11]

(前者はiPadの発表(2010年)で語ったもの。後者は「構想を実際に世の中に届けることこそが創作の完成だ」というエンジニアへのメッセージ)

アンディ・ウォーホル(ビジネスパーソンとしての側面): 「アートの次のステップがビジネスアートだ。良いビジネスこそが最高のアートだ」 [A6]

ベン・ホロウィッツ(投資家・起業家): 「プロダクトマネジメントとは、何を作るべきかを知ることのアートであり、いかに作るかの科学であり、期限と予算内に完成させる規律だ」 [A12]

(「アート」を「データや論理だけでは導けない、経験と直感に基づく判断の領域」として使った)

#### 経営学者・戦略論研究者

ロジャー・マーティン(加): 「優れた経営者は、対立するアイデアを建設的な緊張関係の中に同時に保ち、どちらかを犠牲にするのではなく、両者より優れた新しい解を生み出す"統合的思考"ができる。この能力は分析ではなくデザイン・アートの領域に属する。最高経営者には"芸術的な感性"が必要だ」 [A13]

(著書『ザ・デザイン・オブ・ビジネス』(2009年)。14年間にわたる成功した経営者の研究から導き出した)

マーティ・ケーガン(プロダクト論): 「優れたプロダクトマネジメントとは、分析の規律と、データが不完全な状況でも直感を信頼する勇気の両方が必要なアートであり科学だ」 [A12]

#### 6つの立場を横断して「アート」に共通する5要素

1. 意図的な変形・誇張

写実でも記録でもなく、現実を変形することで本質(真実・感情・理念)に近づこうとする行為。カントの「自由な遊び」、ラマチャンドランの「誇張による神経活性化」、ピカソの「嘘によって真実に届く」が同じことを言っている。

2. 感じる相手がいて初めて完成する

作り手が一人でやり遂げるのではなく、見る人・体験する人の知覚・感情・解釈によって完成する。トルストイの「感情の伝染」、デューイの「体験の完結」、チャタジーの「三つの神経系の相互作用」が共通してこの方向を向いている。

3. 文脈・共同体の中で意味が生まれる

作品単体ではなく、それを取り巻く制度・文化・習慣の中に置かれることで「アートかどうか」が決まる。ダントの「アートワールド」、ギアーツの「文化的実践への参加」、デュシャンの便器がすべてこの点を指している。

4. 人間の本能的・生物学的な行動である

ディサナヤークの「生物学的必要性」、カントの「普遍的に伝達可能な快楽」、ラマチャンドランの「神経系が進化的に反応する刺激」——立場は違えど、アートを人間の深いところから出てくる衝動として捉えている。

5. データ・論理が届かない判断の領域を指す言葉(ビジネス文脈固有)

ビジネスの文脈では「アート」は「分析や手順書に還元できない、経験と直感と感性に基づく判断力」の意味で使われる。ジョブズ・マーティン・ホロウィッツ・ケーガンが共通してこの用法を取っており、「アートとサイエンスの両方が必要」という対比的な言い方が定型化している。

参考文献(続きセッション追加分)

  • [A1] Stanford Encyclopedia of Philosophy — Kant's Aesthetics and Teleology
  • [A2] Stanford Encyclopedia of Philosophy — Hegel's Aesthetics
  • [A3] Internet Encyclopedia of Philosophy — Definition of Art
  • [A4] Stanford Encyclopedia of Philosophy — Dewey's Aesthetics
  • [A5] Keep Inspiring Me — 138 Art Quotes from Great Artists
  • [A6] ArtNews — Andy Warhol's Greatest Project Was Business Art
  • [A7] Ramachandran & Hirstein, "The Science of Art" — Journal of Consciousness Studies (1999)
  • [A8] Cognitive Neuroscience Society — Beauty is in the Brain of the Beholder
  • [A9] University of Washington Press — What Is Art For? (Dissanayake)
  • [A10] PhilPapers — Clifford Geertz, "Art as a Cultural System"
  • [A11] Inc. Magazine — Steve Jobs and Art
  • [A12] LaunchNotes — 50 Product Management Quotes
  • [A13] Roger Martin — The Design of Business (2009)